石を砕いて磨り潰すという作業は思いのほか大変だった。コハクやマグマが呼吸でもするみたいにガンガン砕くのを見てしまったせいだ。という冗談はさておき、こんなことならどちらかに頭を下げて頼むのだったという後悔が頭を過る。
パワー自慢の人間は別の仕事に駆り出されており、暇を見つけてはこうしてこっそり趣味に勤しむ人間を助けてくれとは言いづらい。
「そこにいるなら手伝ってくれると助かる、かな」
オッケー任せて〜と羽よりも軽い二つ返事で私の真横にしゃがみこんだゲンにだってそんなに力があるとは思えないが、いないよりは断然良い。
「じゃあゲンはこれ砕いて。粉吸い込まないようにね」
防塵用の布を渡すと、ゲンは大人しくそれで顔の下半分を覆った。二人並んで不審者に見えなくもない。
「これは何作っちゃう感じ?」
「絵具」
「ああ〜聞いたことある!貝とか石とか砕いて作れちゃう……って、名前ちゃん絵描くの?」
「一応」
ゲンが驚くのも無理はない。石化を解かれてから今まで、一度もこういうことには手を出さなかった。運良く復活液をかけてもらえたのは単純に体が動かせる部類の人間だったからだろう。
それでも描きたいという気持ちは常にどこかで抱いていたように思う。正直なところ、体を動かすより絵を描く方が好きだ。描くというより、色を塗るのが好きだった。
そんな欲求を抑えるのもとうとう難しくなってきたので、クロムから採れる場所を教えてもらったり少し分けてもらったりしながら集めた鉱石を砕いて顔料にすることにした。
みんなで目指す文明復興とは一切関係がない。あくまで自分が使うのだから、元々ある、誰かが作ったものを拝借するのではなく私自身が最初から作ってしまった方が文句も出ないだろうという魂胆だ。
太古の人類も洞窟に色のついた絵を描いていたのだから私でもやってみればなんとかなるという見切り発車ではあるが、実際に綺麗な色の石を目の前にすると俄然やる気が湧いてくる。
普段千空達にこき使われてるゲンは「またドイヒー作業!?」などと不平不満を口にしそうなものだが、特段文句を言うこともなく石を潰し始めた。
「どのくらい細かくすればいい?」
「ええと……私がストップって言うまで」
「ハイハイりょ〜か〜い」
鉱石が細かい粉末になったら、紙で小分けに包んでおく。必要な時に必要なぶんだけ使うためだ。
「俺包むのは得意よ?マンガン電池いっぱい作ったから」
そう言うと、ゲンは職人みたいに次々と顔料を包んでいく。この作業は彼に手伝ってもらって正解だったかもしれない。私が一個包む間にゲンは二つ三つは包み終わっている。
「……よし、これで最後」
「ありがとう。おかげで予定より早く終わった」
「こういう細かい作業なら任せちゃってよ」
お礼は夕飯を奢るとかで手を打ってもらえるだろうかと考えていると、ゲンは徐に手を伸ばして包みを一つ開く。中に収まっているのは美しい青色だ。
「一個だけお願い。俺が作ったこの絵具塗ったとこ、見せて?」
そのくらいならお安いご用だ。私もどんな色が出るのか見たいし丁度良い。早速、ゲンが石を砕いて磨り潰して作ってくれた粉を平たい皿に移して、傍らに置いてあったビンの蓋を開けた。
「それは?」
「膠をちょっと薄めたやつ」
「ニカワ」
「えっと、ゼラチン」
顔料と接着剤になる物と混ぜ合わせてようやく色を付けることができる。このままではただの粉ふりかけだ。
「あとは、この紙で良いか……ゲン?」
「ん?」
色を塗る紙を引っ張って手元に持って来た所で何やら視線をひしひしと感じてしまい、その元を辿った。絵具でも眺めてるのかと思っていたのにさっきからゲンが眺めているのはどうしてだか私の顔のような気がしてならないのだった。
「今更で悪いんだけど。ゲン、これ楽しい?」
漫画みたいなものが描けるわけでもなく、ただ好き放題描くだけで己の欲求を満たそうとしているのは重々自覚している。地味なうえに見返りも大して期待できない一連のこの流れが、私以外の他人にとって果たしてそこまで楽しいものだろうか。
「ん〜〜、まぁ確かに俺は絵のことはそんな詳しくないけど。でもいいよ」
「何がいいの」
「名前ちゃん今とっても楽しそうだから。名前ちゃんが楽しければ、俺はそれでいいよ」
前から思っていたが、ゲンは物好きだ。千空が難しい科学の話をしている時などは特に顕著で、相手の話がまるで分からなくても誰かが楽しそうなのがなんだかんだで楽しいのだろう。離れたところで見ている分には気にならなくても、自分がその対象なのだと思うと面映ゆい。
「……そう。変わってるね」
「そんだけ!?つれないなぁ名前ちゃんは」
「ほら塗るよ」
絵具を付けた筆を紙に乗せて、動かす。
鮮やかな群青が尾を引いた。
「これはアズライト。私が砕いた緑のはマラカイトって言って、クロムに分けてもらったやつ」
「クロムちゃんがくれたの?」
「そ。別に一人占めするために取っといてるわけじゃねえよってさ、親切だよね」
せっかくなので緑の絵具も同じように紙に乗せた。
ここまで来ると黄色や赤も早く揃えたくなってしまうが、こちらは日を改めることにしていた。黄色はともかく赤い絵具を作るには多少の危険を伴うのでゲンに手伝ってとは頼めないし、千空を捕まえておいた方が賢明だろう。
「ところで名前ちゃんは何色が一番好き?」
「青」
「即答来ちゃった!良いよね〜青、空も海も青いし」
この世界を構成する色の中で青が一番好きだ。これだと思う青色をいつか私の手で作って、それを使って壁一面を青く塗りつぶしてみたい。作られた絵具を簡単に入手できたあの頃には考えもしなかった。
「ラピスラズリって分かる?」
「それは俺も知ってる!瑠璃でしょ、ルリちゃんの」
名だたる芸術家がこぞって欲しがったという、その青。海の向こうにも行けない今だからこそ、自分も手に入れてみたいという願望が生まれてしまったのかもしれない。
「そっか、名前ちゃんが好きなのは青か。俺も青い服作ってもらっちゃおうかな?杠ちゃんに」
「え、なんで。似合ってるよそれ。綺麗な紫」
「ジーマーで?いや〜ありがとね」
「軽……」
先程も同じことを思ったが、ゲンは私とのやり取りの何をそんなに楽しんでいるのだろうか。彼の言動と真意がなかなか結び付かない。しかし、私が楽しいならそれでいいと笑ったゲンの声が今になって少しずつ作用してきた。
「ゲン。今度描きに行こうと思うんだけど、来る?もし都合がよければ」
「えっ、い、行く行く!どこどこ?」
「いや、その辺の洞穴」
「名前ちゃんと俺の他には?」
「特には……。趣味だしただの」
予想より前のめりで食い付かれて、若干困惑してしまった。絵は別に詳しくないと言ったのはゲンだし、様子を見ていても正直興味すら無さそうだ。面白くもないのに喜んでついて来るなんて、それはつまり絵ではなくて私を見物しに来る……つまり「そういうこと」ではないのか。
「なんだか壁画チックになりそうじゃない?」
「そんな大したもんじゃないけど。器物損壊的な罪に問われない内にやっとこうかなーと」
「あはは、結構現実的だよね名前ちゃんって。俺達もう好き放題開墾してるし油田まで手に入れて道路も舗装しちゃってるのに」
「それは必要なことでしょ」
「名前ちゃんの絵だっていつか100万ドラゴになるかもよ?」
「それは絶対にないけど……。ん?ああ、そういう」
自惚れるなと、数十秒前の自分を殴っておきたい。
ゲンが妙にがっついて来る気がしたのは投資のようなものだと思うと合点がいった。私の浮わついた想像より、余程現実的だ。
「本当にささっと描いて塗るだけだよ」
「だーから、それがいいんだって」
言われるのは二回目なのに、もう「変わってるね」とは返せなくなってしまった自分がいる。こんなに単純だっただろうか、私は。
「とにかく……面白さとかはあんま期待しないでね。自信ないから」
後戻りするなら今のうちだと私の勘が叫んでいる。しかし誘ってしまった手前やっぱりナシという訳にもいかず、私はとうとうゲンと二人だけの約束を交わしてしまった。
「あのさ名前ちゃん、今度にしようと思ったけどやっぱり今言っとくね。俺、名前ちゃんの絵じゃなくて……いや絵だって見たいけど、名前ちゃんが好きなことして笑ってるとこが一番見たい」
じわりじわりと指の先まで塗りつぶされていくような心地がした。絵筆を持ってるのは私だったはずなのに。
「あ……そ、そう、ですか」
「そうなんですよ、なんてね。ウソじゃないよ」
気の利いた返事もできず、ひたすら筆に絵具を馴染ませることでなんとか自我を保ってる私を、ゲンがどんな顔で見てるかなんて分かりっこない。
ゲンに絵を見せるその日までに、石をたくさん砕いておかないと。
2021.4.12 「お題:君が楽しければ、それでいいよ」
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